よわさ。

今日は

私の弱さが身に染みてわかる一日だった。

だから

誰が見るかもわからないこのブログに

文章を書いてみたくなったりした。

 

昨日私は

たくさん泣いた。

寂しかった、

怖かった。

自分で求めた選択のはずなのに

なぜそんなに悲しいのかもわからなかったけど

悲しいことは知っていた。

涙に教えてもらったって表現が正しいかも。

 

朝起きて、

昨日とは違う日常が始まる。

どんなときも、

昨日と今日は違って

今日と明日は違うはずなのに、

何も違わないはずなのに

動けなくなった。

 

昨日の涙と

薄着のせいで

久しぶりに鼻、喉、頭、全部やられて、

最後には熱まで出た。

病は気からという言葉が身に染みる。

 

やらなきゃいけないことは何一つできないし

考えもまとまらない。

 

こんな日に、

偶然小学校以来の大親友に会えたというのに

大事なことは何も話せなかった。

帰り道に

話したことたくさんと後悔の渦。

いつもなら引き返す道のりも

今日は閉じていた。

 

 

私の弱さが導いた決断。

それにひっぱられて

弱いところが全部出た一日だった。

 

強くなるためのものだったはずなのになぁ。

 

 

夏は私の季節だから

8月は全開でいけるかな。

ぶきよう。

私が乗る電車に

たまに乗り合わせる方がいる。

私はもともと、

人の名前や顔を覚えるのが苦手だから

電車で会う人の顔なんて

覚えられない。


でもその人は、

声でわかる。

存在でわかる。


あ、あの人だ。

あそこにいるんだ。


って。

でもね、顔は知らない。


その人はいつも

すごく不器用に

何かを伝えようとしている。


でも伝わらない。

不器用すぎて。

だって、

怒ってるから。


怒られているほうも

黙ってはいられなくなって

逃げたり

怒ったりする。


心臓がドキドキする。

耳を塞ぎたくなる。

「やめて。」




彼女は

何を望んでいるんだろう。


どうして、

怒るんだろう。


どうしたら、

笑顔になるんだろう。


逃げても、

怒っても、

ダメなんだ。


でも

話しかけられない。


ほんとは、

そういう人の隣に座って

「今日はいい天気ですね」

ってお話できるような人に

なりたいのに。

ほんとうにやりたいこと。

今週は

課題に追われる日々が続いています。

と、いいながらたくさんの人と会って、

遊んで、植物にちゃんと挨拶もしています。

でも、私の予定は6月中はほとんど埋まってしまって

息苦しい。

頭がいつも、

次、”しなきゃいけないこと”を考えてる状態。

想像力が暴走しだすと、

「ちょっとちょっと、それは後でにしてくださいね。」

っておじさんが割って入ってくる。

 

本当は、

人生について、死について、喜びについて、私について、

もっと考えたい、深めたい、感じたい。

 

今日も、

植物の苗を見てるのと課題をやるののはざまに挟まれて

「課題」なんてちっぽけにみえて

でもそれをこなしていく私に逆らえずに。

「でもそれって、私めちゃ我慢強いってことだし、いいところでもあるんだよ?」

なんて言ってみたりね。

 

ちゃんと意志を持たないと

流されていく。

GO WITH THE FLOW

だって、バランスが大事だ。

 

どーーーーーんなにいいことだって

極論にしたら悪くなる。

ビタミンも、睡眠も、お金も、

とりすぎたらよくない。

授業も、出会いも、喜びも、

ありすぎるのは良くない。

 

足りないものをゲットするだけじゃなくて、

足りてるものをリリースする力を

つけたい。

 

人はきっと、

それが苦手だ。

 

 

”~したい”っていってるうちは、まだ無理なんだもんな、きっと。

 

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私が本当に恐れているのは、


「私たちが本当に恐れているのは、

出来ない自分、

失敗する自分じゃない。

なんでも出来る自分、

自分が思うよりももっともっとパワフルな自分だ。

世界を変えてしまうくらいに。」


そんな言葉を思い出す。


もし、私が本当に素敵なエコビレッジが作れて、

幸せそうな家族に囲まれて、

これまた幸せそうに暮らす

とてもパワフルな仲間に囲まれていられるとしたら?

そこから、

満ち満ちたコップから

水が溢れ出るように

幸せや善い暮らしのエネルギーが日本に、世界に染み出していくとしたら。

どうする?


ゾクゾクする。

ワクワクする。

やりたい…!


「え、うそ…。」

と待ったの声。

だって、いまの私はどうなるの?

何もできてない私は何?

それに自分の夢を本気で追いかけたら

どうなるんだろう?

とんだ破天荒になりそうだ。

痛い経験も増えそう。

周りも見えなくなりそう…

そもそも、それが

間違えだったらどうする?


そっか、

やっぱり怖いものだ。

なんでも出来る私が本当だとしたら

なんにも出来ない今の私は

何かが足りていないことになりそうで。





だけど

人を見たら思い出す。

無限の可能性の素晴らしさ。

可能性を持った人には、

その道を生きて欲しい。

それは、心からの願い。

そして、

私もその一人。


本当は知っている。

怖いのは、

自分を守るため。


本当は知っている。

怖くて何もしないと、

もっと自分が傷つくことも。



だから私は、

自分を大切にしながら

夢を見たい。

世界に働きかけたい。

私の世界に。


私を信じて、

人を信じて、

世界を信じる。


綺麗事だし、

そんな価値観クソくらえって思う自分もいるんだけど、

そっちのほうが世界がカラフルで

楽しそう。


信じることを選んだ私は言うんだ、


"間違えてても、

おあいにく様。

気づいたときに

また直せばいいから。

生きてれば

なんとかなるものだから。"


最強だな、こいつ。

と思ったところで

夜が明けた。

朝だ。

目覚めの思考を言葉におこして

私は今日も。

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種を蒔きました。

春です。

この前まで、

春の風を素直に喜べない自分がいましたが

いまは春が愛おしくてなりません。


おとといは、

野菜の種を蒔きました。

去年の暮れから

野菜を育てたいと思っていたのですが

その頃植えた子たちはみんな萎びていたので

春の陽気を今か今かと待っていたのです。

今日で2日目だというのに

種は早々に殻を破り姿を現そうとしています。

見ているとなんだか、

私もそんな風にムクムクっと

殻を破れそうな、

そんなエネルギーを感じます。



殻にこもっていた私は

2週間前に念願のコアクティブコーチングのプログラムに参加し、

そこから養分をたくさんもらいました。

いまはクライアントさんになってくれる人たちと、毎日のようにお会いしています。

去年の今頃、

遠くを見て何もできずにいた私よりも100倍エネルギーに溢れていて、

「あぁそうか、私のペースはこれぐらいなんだろうなぁ。」

とハイスピードで進んでいく仲間を素直に喜べる心を取り戻した気分です。


最近、

「良い」ものの基準が

すごい勢いで塗り替えられていきます。

だから、また変わるかもしれないけれどいまは「自分の大きさ、速さ、強さが一番。」と思います。

前も、

自分が幸せなのがなにより、と思っていたけれど

やっぱり出来るなら

大きいもの、速いもの、強いものがいいと思っていました。

だから

幸せな上に大きくて速くて強い人への劣等感が外せなかった。

でもその劣等感が、

小さくて、ゆっくりで、弱い存在でもいいことを

じんわりと教えてくれているように思います。


ダメなやつ、

と人は誰かを揶揄するけれど

何をダメというのだろう。


しょぼい奴、

せこい奴、

うるさい奴、

全部ほんとは大切なものを持っている、

といまの私は思います。

だから

ダメな奴って私が誰かに対して思うとき、その理由を探るのが楽しいです。

一つ思うのは、

自分の可能性ややりたいことを自分で抑えてしまう人を目の当たりにすると、私の心は強く揺さぶられるようです。

それは、そこに強い願いがあるから。

そういうときの、

その人との関わり方はまだ、

模索中。






自分は

本当は何を大切にしたくて、

何を満たしたくて、

どこへ行こうとしているのか。


それを、

みんなが心から語れるようになったら

もっと簡単に

あの人と繋がれるんじゃないかな、、

という仮説を検証していきたいと思う、春の日和でした。


春休み。

春休みが、

半分終わった。

あと30日で、

春がやってくる。

いや、

春はもう、

ここにきているけれど。

庭に植えた、

死んだかに思えた植物たちはもう、

小さくて

生命力いっぱいの

緑の頭で

「春ですね。」

って挨拶してくれた。


それなのに私は。

春なのに、春なのに。

喜べない、春なのに。


今度の一週間、

私には何も予定がない。

何も予定がないときの私は、

萎びてる。

冬の間に枯れてしまった蔓のように。


ここにきて、

私には勢いが足りなくて

朝も起きられないし

予定を入れるのも億劫だ。

持ち前の「やっちゃえ!」

精神はどこへやら。

そいつ、たまに顔をみせるんだけど

すぐ吹かれてどこかへ。

ふう。


そんな私はいま、

瞑想の時間が好きだ。


じーん、

宇宙に抱かれたように

手足の感覚を失って

上も下もないような感じになる。


そして

落ち着かない自分の脳みそを

感じる。


思考し続ける、

とか

日々前進あるのみ、

とか

うんざりだ。

私はただ、

生きていたい。

感動して生きていたい。

画面の上のじゃなくて、

本物の命に

感動していたい。

AIも

いつか命として認められるだろうな、

なんて思ったけどやっぱり、

それはないと思う。

考えるものが

命じゃない。

生きるものが

命だ。


デカルトの

「我思う、ゆえに我あり。」

は思考を讃えたものではなくて、

人が自分の存在を

論理的に説明するために

作り出した論理で、

真理じゃない。


そんなことを考えては、

頭を真っ白(ほんとは真っ黒)にして

時を忘れる。


そしてまた、

萎びる。


出てくる答えはいつもこうだ。

「ここじゃない。」

でも動けない。

ここから。

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taken by haruno

文章を書くこと。

文章を書くこと。

それは私にとって、

デトックス。

 

電車に揺られながら浮かんできた考え、

お風呂に入りながら湧き上がった想い。

とても大切なそれらひとつひとつを言葉にする。

 

それは

悲しい気持ちを

涙として体の外に出すような、

怒る気持ちを

声や動きで表さざるを得ないような、

そういうもの。

 

言葉にしてみて、

「あぁこんなだったんだね、私。」

って改めて思う。

それは

恥ずかしく思うときも

満足するときもある。

そうすることで

自分の考えにいったん

ピリオドを打つことが出来る。

 

だから

非言語的だった考えや想いを

言葉として紡いでいくことが

好きだ。

 

でも、

なにか感覚が少ないままに

だれかに追われるように書いた言葉には

エネルギーが、

想いがこもっていないから

自分で見て悲しくなる。

どんなに、

いいねって評価されても

それは虚構に過ぎないから

それに対する評価も

私を通り過ぎてどこかへ行ってしまうみたい。

 

このブログは

いまの私のデトックスのために、

そして文章が好きだった私を

私がいつかちゃんと思い出せるように

書いている。

 

たぶんね。

 

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